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2009年03月 アーカイブ

2009年03月08日

米英戦争(べいえいせんそう、War of 1812)

米英戦争(べいえいせんそう、War of 1812)は1812年6月-1814年12月、イギリス及びその植民地であるカナダ及びイギリスと同盟を結んだインディアン諸部族と、アメリカ合衆国との間でおこなわれた戦争である。「1812年戦争」「アメリカ=イギリス戦争」「第二次独立戦争」とも呼ばれる。カナダ、アメリカ東海岸、アメリカ南部、大西洋、エリー湖、オンタリオ湖を主戦場に戦われた。

この戦争がおこった背景にはいくつかの理由がある。

第一にヨーロッパでのナポレオン戦争中、アメリカは中立を宣言するが、イギリスによる海上封鎖によって、アメリカは経済的大打撃を受けていた。またイギリスの米船に対する臨検活動も反英感情を強めた。
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第二にアメリカ国内において、南部諸州人はインディアンの土地を狙っていたが、激しく抵抗するインディアンたちの背後でイギリスが扇動していると考えていた。そのため反英感情が高まっており、根本的解決のためにはイギリスと戦争するしかないと考えられた。この戦争においてインディアン達はアメリカ人の侵略活動による西進を防ぐ為、イギリスと手を組んだ。

第三にナポレオン戦争に関わっていたイギリスには新大陸に戦力を向ける余裕が無く、アメリカはその隙を狙っていわば火事場泥棒的にカナダをイギリスから奪おうとした。

第四に、第三の理由からアメリカの指導者達は戦争はすぐに終わると楽観していた。

戦争の経過
こうしてアメリカから仕掛けられて始まったのが米英戦争である。

1812年6月18日、アメリカ第4代大統領ジェームズ・マディスン政権のときに米国議会はイギリスに宣戦布告した。

外交的な論争が何年も続いた挙げ句の開戦ではあったが、どちらの側も戦争の準備はあまりできていなかった。

イギリスはナポレオン戦争に掛かりきりでいた。イギリス陸軍の主力はスペインでの半島戦争に取られており、イギリス海軍はヨーロッパの海上封鎖を強いられていた。1812年6月のカナダ駐在イギリス軍は公式の数字で6,034名となっており、これにカナダ民兵が支援していた。米英戦争の間、イギリスの陸軍及び植民地担当大臣はヘンリー・バサースト伯爵であった。開戦から2年間、イギリスは北アメリカの軍隊を補強するゆとりがなかったので、北アメリカ総司令官ジョージ・プレボスト中将に防衛的な戦略を採らせた。このことはプレボスト自身の考えでもあった。しかし、1814年になると、戦争経験のある25,000名以上の大規模な増援が可能になったにも拘わらず、プレボストのニューヨーク侵攻はプラッツバーグの戦いでの敗北で挫折した。また南部のルイジアナ侵攻もニューオーリンズの戦いで反撃された。

一方、アメリカ合衆国の方は楽観的に見過ぎていた。マディスン大統領は、民兵が容易にカナダを確保し、その後に停戦交渉を行えばよいと見ていた。1812年、アメリカ陸軍の正規兵は12,000名を切っていた。アメリカ合衆国議会は陸軍兵力を35,000名まで拡張することを認めたが、従軍は志願に頼り、給与が少なくて不人気だったうえに、最初の内は訓練を積み経験のある士官が少なかった。民兵は正規兵の応援を要請されたが、その所属する州の外での従軍には反対し、規律もあまり良いとは言えず、さらに出身州の外で敵と遭遇すると働きが悪かった。合衆国は戦費を賄うことが非常に難しい状態にあった。これは丁度国立銀行を放棄したばかりであったことと、北東部の民間銀行が戦争に反対していたことによっていた。

アメリカの準備の足りなさと、アメリカ合衆国陸軍長官ウィリアム・ユースティスの指導力の不足とで、ユースティスの更迭にまで発展し、初期のアメリカは悲惨な状況だった。ユースティスの後継者ジョン・アームストロングは1813年遅くにモントリオール占領を目指した連携戦略を試みたが、兵站の破綻、非協力的で喧嘩っ早い指揮官達および訓練の足りない兵士によって失敗させられた。1814年までにアメリカ合衆国陸軍の士気と指導力は大きく改善されたものの、首都ワシントンが焼き討ちにあい、今度はアームストロングが職を追われた。次の陸軍長官ジェームズ・モンローが新しい戦略を立てる前に、戦争は終わった。

アメリカの戦争遂行は、特に反戦論の声が大きかったニューイングランドでの不人気に災いされた。ニューイングランドが民兵や財政的な援助を与えられなかったことが深刻な打撃となった。ニューイングランドが合衆国から脱退するという脅威もあり、イギリスはこの分裂を即座に利用して、海上封鎖を南部の港に限定し、密貿易を奨励した。

米英戦争は主に3つの戦線で行われた。

五大湖地方およびカナダ戦線
大西洋戦線
南部諸州戦線

2009年03月23日

カルダン駆動のバリエーション

現在の日本では、以下の3種類のいずれかが一般的である。

中空軸平行カルダン駆動方式:限られた空間の中で車軸と電機子の変位量を大きく許容するため回転軸を中空にし、電動機の両側に配置した二つの撓み板継手を直結する回転軸を中空軸の中に通したもの。原型となったのは、スイスのBBCディスクドライブで、日本においては東洋電機製造が独自開発により実用化に成功した。車軸位置の偏倚量が大きくとも対応可能で、しかも継手の軸方向の長さをほぼ無視できるため、国鉄の新性能電車をはじめ、主に狭軌の鉄道で幅広く採用された。
WN平行カルダン駆動方式:中実軸の電動機と歯車との間にWN継手を配置したもの。三菱電機がライセンシーとして製造。中空軸平行カルダンに比べWN継手を設置するスペースの確保に特別の工夫が必要であることから、当初は標準軌の鉄道で先行して普及したが、電動機、及びWN継手の小型化技術が進展したことにより狭軌の私鉄でも用いられるようになった。中空軸平行カルダン駆動方式やTD平行カルダン駆動方式に比べ耐久性が高いことから、700系のC19編成以降のグリーン車およびN700系を除く新幹線やJR西日本の標準駆動システムとしても採用されている。
TD平行カルダン駆動方式:中空軸平行カルダンの撓み板継手を2個組み合わせ小型化した形態の「TD (Twin Disc) 継手」を中実軸の電動機と歯車との間に設けたもの。東洋電機製造が開発・製造。WN方式に比べ構造が簡単で、保守性も高いことから、JR西日本を除くJR各社や、従来中空軸平行カルダンを採用していた鉄道事業者を中心に普及している。また、近年では耐久性が向上したことから、新幹線への採用例も出てきている。
また、現在はごく少数になったが、カルダン駆動の黎明期に多用されたものとして、以下の方式があげられる。

直角カルダン駆動方式:かさ歯車、もしくはウォームギアと平歯車の組み合わせにより、駆動軸がレール方向に平行となるように主電動機を台車に装架したもの。歯車の整備性に難があること、駆動装置そのものの重量・容積が大きいこと、軸距が長くなり台車の重量が増大しやすいことなどが欠点として挙げられる。もっとも、電機子の軸方向の長さが車輪のバックゲージに制約されないため、狭軌向けであっても比較的大出力の主電動機を選択できることに加え、かさ歯車として歯を斜めに切ったスパイラル・ベベルギアを利用することで平行カルダンでは得られない静粛性が得られるというメリットがあり、日本においては初期の高性能電車で多用された。もっとも大きな力のかかる歯車全般、中でも特にスパイラル・ベベルギアは表面の耐摩耗性と内部の靱性の両立に加え、きわめて高精度な切削処理が要求されるため、材料の選定や加工が非常に難しく、日本で最初にこの方式に挑んだ東芝では材料となる合金鋼の製造・表面処理に手を焼いた。そのため、それらのノウハウが確立され、また高精度な加工を可能とするアメリカ製の専用工具が導入された1954年まで、充分実用に耐える製品が製造できなかった[2]という。日本では東芝の他、日立製作所も製造を行っており、後者では大口納入先の一つであった相模鉄道の技術陣がこの方式に固執したためもあって、その製造は21世紀に入るまで続けられた。

近年の傾向として、VVVFインバータ制御と誘導電動機の組み合わせの普及の結果主電動機の小型化並びに高出力化・高回転化が推進されたことから、中実軸の電動機を用いるWN式、TD継手式のいずれか(事業者によっては両者を併用)が主流となりつつある。

その他の方式としては以下の方式が挙げられるが、特殊構造に類し、一般的ではない。
こどまり バーベキュー スターライト ハンバ むぎわら ヘデラ スクエア レポレート タチアオイ かささ あとがま レムリア 紙飛行 モノカイ サフル サウジ ラノオ ダクション かしはら デコラ フルス レべリング クンツ フェライト かぶとが ピンチ ナビユタ わらび野 コロポ リパー ライセ あねご トーテム 世界一周 しゃな ロコモー シュー ファーム てごろ ンソウ ドライ リード オミット ドルチェ イズム セッティ スイート ハジサー つきほと 桃一郎

車体装架カルダン駆動方式:車両の車体側床下に電動機を固定し、カルダンジョイントを備えたプロペラシャフトで車軸を駆動する。気動車の駆動システムに類似することから古い時代の気動車改造電車に実例が見られたほか、近年では駆動装置のスペースに制約の多い超低床形路面電車などに採用例がある。
垂直カルダン駆動方式:日本の神鋼電機が1954年に開発した方式で、電動機を垂直に立てた状態で台車装架する構造。かさ歯車を利用する点は直角カルダン駆動に類似するが、中間歯車を加え、カルダン継ぎ手の代わりに伸縮軸を用いて車軸の変位を吸収する。スペース制約の厳しい軽便鉄道でも使用可能な機構だったが、構造が複雑でデメリットが多く、ほとんど普及せずに廃れた。

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