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2009年02月 アーカイブ

2009年02月03日

上杉氏(うえすぎし、うえすぎうじ)は、日本の氏族

上杉氏(うえすぎし、うえすぎうじ)は、日本の氏族の一つ。元は公家であるが、鎌倉幕府の将軍となった親王の従者として関東に下向し、武士化した。京都府綾部市上杉が名字の地。鎌倉時代、室町時代から江戸時代にかけて栄えた武家の一族が著名である。
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藤原北家勧修寺流の流れを汲み、鎌倉時代の中頃まで京都の中級公家の家柄であった、重房の代に至って丹波国何鹿郡上杉庄(うえすぎのしょう、現在の京都府綾部市上杉町周辺)を領したことにより上杉を名字とした。足利尊氏は当地で産まれたとの伝承が残る。元々は、天皇家に仕える公家であったが、鎌倉時代後期、親王の将軍就任に従って鎌倉へ下向してのちに武士となった。のち足利氏の姻戚として勢力を伸ばした。

室町時代は鎌倉府にあって鎌倉公方の執事、次いで関東管領の職を世襲し、相模、武蔵、上野、越後など一門で4ヶ国の守護職を占める有力守護大名としても栄えた。しかし、従来より鎌倉府に仕え関東に拠点のあった山内上杉家と、当初は室町幕府に仕えて京都に在住した扇谷上杉家が、関東の覇権をかけて内紛を起こし次第に勢力を衰退させる。

戦国時代には関東における覇権を、次第に新興勢力である後北条氏に押され、山内上杉家の当主上杉憲政は、越後守護代として勢力を台頭させていた三条長尾家の長尾景虎(後の上杉謙信)に上杉の名跡を譲った。景虎は山内上杉家督、関東管領就任により上杉政虎(輝虎)と名乗った。これにより再び上杉氏は勢いを取り戻し、その養子景勝(越後長尾氏のうち上田長尾家より)は豊臣政権の五大老を務め、会津藩120万石。江戸時代は米沢藩30万石(実高51万石)を領した。のち無嗣の危機に瀕したこともあり15万石(実高33万石)に減知されたが、幕末まで大名としての地位を維持した。

明治時代は華族に列し、伯爵を授けられた。

鎌倉時代・南北朝時代・室町時代
初代上杉重房のとき、鎌倉幕府の征夷大将軍に迎えられた宗尊親王に従って鎌倉へ下向し、有力御家人の足利氏と姻戚関係を結んだ。南北朝時代、重房の孫・憲房は妹の清子が足利尊氏・直義兄弟の母であったことから尊氏を助けて功績を立て、上野の守護に任ぜられて関東で南朝方の新田氏と戦った。

また、重房の別の孫は題目宗の僧となって日静と名乗り、京本圀寺や越後国三条本成寺(新潟県三条市)を有した。師の名僧日印の問答対決を「鎌倉殿中問答」にまとめ、宗門の興隆を導いた。

その後、観応の擾乱では高氏と対立するなど波乱もあったが、憲房の子の憲顕の時代には上野・越後・伊豆の守護を兼ねた。上杉憲顕が1363年に鎌倉公方足利基氏の執事(管領)に任ぜられて、初代の関東管領になって以来、鎌倉に居住した一族から犬懸(いぬかけ)、山内(やまのうち)、宅間(たくま)、扇谷(おうぎがやつ)の4家が出た(頭に居住地名を冠している)。宅間上杉家は早くに衰え、犬懸上杉家は上杉禅秀の乱により主流派から脱落したので、15世紀半ばからは憲顕の子孫山内上杉家と、憲顕の従兄弟の子孫扇谷上杉家の2家が有力となるが、関東管領の職はもっぱら山内上杉家の当主が独占した。この頃の山内上杉家当主であった関東管領上杉憲実は、足利学校の再興者として歴史に名を残している。その一方、上杉氏と足利公方家の対立が鮮明となり、1454年には鎌倉公方足利成氏が関東管領上杉憲忠(憲実の子)を殺害したことに発する内乱(享徳の乱)が発生し、関東は応仁の乱よりも十数年早く事実上の戦国乱世に突入することとなった。

戦国時代
享徳の乱の際、扇谷・山内両上杉家は連合して古河公方(鎌倉公方の後身)と敵対していたが、古河公方との和睦後は両家で争うようになり、内紛の末に衰退し、新興の後北条氏に圧迫されるようになる。武蔵国に勢力をもっていた扇谷上杉家は、1545年の河越夜戦で後北条氏に敗れて滅亡し、上野国を本拠としていた山内上杉家の上杉憲政も、河越夜戦以降は後北条氏の攻撃を直に受けるようになって勢力を衰退させていった。憲政はついに関東を放棄し、もとは家臣筋であり外戚でもあった越後長尾氏を頼った。1561年、憲政は山内上杉家の名跡と関東管領の職を、越後三条長尾家の長尾景虎(後の上杉謙信)に譲り、自身は春日山に移った。深谷上杉家の上杉憲盛は武蔵国にとどまって北条氏との戦闘を継続した。

以後、長尾氏が上杉氏の嫡流を称する。上杉謙信は、越後を拠点として領国を関東と北陸に拡大したが、その死後、二人の養子景勝と景虎の間で家督争い(御館の乱)が起こり、この混乱によって関東地方の領国を喪失した。

この争いは、長尾一族の出身(越後上田長尾家)で謙信の姉の子にあたる景勝が勝利し、上杉氏の名跡を継承するが、謙信・景勝以降の上杉氏(長尾上杉氏)では、謙信を初代、景勝を二代と称している。

安土桃山時代・江戸時代・明治時代
上杉景勝は、織田信長の横死後豊臣秀吉に仕え、五大老の一人となった。この間、1587年には反抗した新発田重家を攻略して越後を再統一し、1589年には秀吉の命により佐渡を平定。越後、佐渡、出羽庄内の91万石を領有し、領内に多くの金山を抱えてその実収入は120万石と言われた。

1598年、景勝は隣国の会津に移封され、陸奥国の会津・白河・田村・安達・信夫・伊達・庄内(田川郡と飽海郡)・置賜、東蒲原、佐渡などに総計120万石を領有するが、1600年の関ヶ原の役に際して徳川家康に敵対し、米沢藩30万石(実高51万石余)に減封された。

1664年、景勝の孫綱勝が急死して断絶の危機を迎えたが、綱勝の舅保科正之(徳川家光の実弟)の尽力により、妹婿吉良義央(上野介、扇谷上杉家の女系子孫)の子綱憲が綱勝の養子に入りした結果、半知15万石(実高30万石余)で家名存続することを許された。上杉斉憲の代に18万石に加増される。

上杉氏は相次ぐ減封により規模を縮小させたが、越後の春日山から持ち込んだ上杉謙信の遺骸を米沢城の本丸内に安置し、謙信崇拝に基づいた誇り高い士風を守った。また、減封のため財政難に悩まされたが、江戸時代後期には上杉鷹山(治憲)が藩の殖産興業を行って財政を立て直した。

明治維新後、米沢藩上杉家は華族に列し、伯爵を授けられた。また、分家米沢新田藩上杉家は、子爵を受けている。

宇宙工学者で宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部教授の上杉邦憲は米沢藩上杉家の16代目当主にあたる(謙信から数えて17代目)。

長尾上杉氏以外の系統も、江戸時代まで血統が続いた。深谷家上杉憲俊は平福藩士になり、宅間上杉家は旗本になったと云われる。上杉満定の男系子孫である加々爪氏は江戸幕府譜代大名となった。上条政繁(上杉入庵)の次男・上杉長員の子孫は、旗本(高家)上杉氏として存続し、領地は下総国印旛郡・千葉郡などである。長男・景広の子孫は能登畠山家として上杉家に仕え、三男・義真の子孫も旗本(のち高家)畠山氏、上杉綱憲の挙兵を止めたのがその末裔である畠山義寧(千坂や色部だというのは俗説)である。また米沢藩士としても山本寺氏など上杉家の庶流が存続した。

主な一族
上杉氏には数多くの分家があり、上杉頼重、上杉憲房の子息の代で分かれた以下の系統が著名である。室町時代は隆盛したが、戦国時代以降の混乱によりいずれも没落しており、その末裔は上記のように旗本や諸藩士になる者が多く、江戸時代に大名として存続したのは三条長尾家から上杉謙信を養子に迎えた山内上杉宗家のみである。また、庶流の加賀爪上杉家は一時的に大名となったが改易された。

宅間上杉家
詫間上杉家とも。憲房の養子上杉重能の系統。重能が高師直との政争に破れ死去し、山内上杉家から養子を迎え存続したが、嫡流は次第に山内家に吸収されていった。庶流としては、憲房の一子、上杉重兼の一族がおり、足利持氏の側近を務めた上杉憲直を輩出している。戦国期には北条氏綱に降り、後北条氏滅亡後は宅間氏を名乗り、徳川家康の旗本となった。

犬懸上杉家
憲房の子上杉憲藤の系統。四条上杉家とも。憲藤は足利尊氏の子の千寿王の執事となり犬懸に在住し犬懸家の祖となったとされる。憲藤の孫の上杉氏憲(禅秀)の代に上杉禅秀の乱により衰退し、関東の政治の主流派からは遠ざかったが、氏憲の子の多くは幕府に仕え血統は存続し、一部は堀越公方の関東執事となるなど、禅秀以降も関東の政治に足跡を残した。しかし、戦国時代を境にその動静は確認できなくなり、没落したと思われる。

山内上杉家
憲房の子上杉憲顕の系統。鎌倉移住以前は椙谷上杉家ともいった。山内上杉家を参照。憲政から家督を譲られた上杉謙信(長尾景虎<三条長尾家>)の系統を特に長尾上杉氏とも呼ぶ。山内上杉家の分家として庁鼻和上杉家(後の深谷上杉家)が存在する。また、室町期の佐竹氏本家当主佐竹義人は山内上杉家の出身である。

扇谷上杉家
憲房の兄上杉重顕の子の上杉朝定の子孫が鎌倉の扇谷の地に在住したのが始まり。二橋上杉家、八条上杉家とも。扇谷上杉家を参照。

越後守護上杉家
また、犬懸上杉家から越後守護を世襲する越後上杉家が分かれ(養子により血統的には山内上杉家)、越後国内に山本寺氏、山浦氏、上条氏を分家した。守護代の長尾氏と対立するようになり、上杉房定の代には長尾氏を抑え優勢となり全盛期を築き上げた。房定の死後は、上杉定実を擁する長尾為景によって上杉房能が自害に追い込まれるなど下克上され、上杉定実は為景の死後、伊達氏の支援により復権を図るものの天文の乱により挫折し、後継のないまま死去、1550年に断絶した。

千秋上杉家(小山田上杉家)
憲房の庶兄上杉頼成の系統。上杉家では庶流筋であるが、子孫としては上杉定頼がおり、彼は一時扇谷上杉家の家督代行を務め、足利持氏に重用され安房国の守護となっている。長尾氏の養子となった上杉藤景の系統でもある。

米沢上杉家(米沢藩主家)
上田長尾家出身の長尾顕景は上杉謙信の養子となり、名を上杉景勝と改めた。謙信死後、御館の乱を制し、上杉氏の惣領となり、豊臣秀吉に仕え、陸奥会津120万石(会津藩)を領した。秀吉の死後、関ヶ原の戦いでは石田三成ら西軍に付いた。しかし、戦後に家康から罪を許されて出羽米沢(米沢藩)30万石減封となり、1664年(寛文4年)に継嗣問題でさらに15万石に減封されたが、家格は国主とされた。減封されたにも関わらず家臣を減らさなかったため、財政難に陥り、一時は領地を返上することまで検討されたが、第9代藩主上杉治憲(鷹山)による改革によって藩政を建て直し、幕末まで存続した。

加々爪上杉家(高坂藩主家)
駿河の今川氏の客将から、江戸幕府の旗本となり、のちに大名となった家系の上杉氏。

庶家
山浦氏
深谷氏
山本寺氏
上条氏
八条上杉家
米沢新田藩主家

系譜
凡例 太線は実子。細線・二重線・斜体は養子。    

(藤原北家勧修寺流上杉氏)

    重房
    ┃
    頼重
 ┏━━╋━━━━━┳━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
日静  重顕    加賀局    頼成=長尾景基の娘        清子(足利尊氏の母)                  憲房
 ┏━━┫     ┃  ┏━━╋━━┓  ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━┥
重藤  朝定     重能 藤景 藤成 藤明 憲顕                            憲藤      重能
 ┏━━┥        ┏━━┻━━┓  ┣━━┳━━┳━━┳━━┳━━┓           ┏━━┻━━┓    ?
朝顕  顕定       頼顕    顕定 憲英 能憲 憲春 憲方 憲栄 憲将          朝房    朝宗   能憲
 ┃  ?        ┃     ┃     ┏━━┳━━┫  ?              ?  ┏━━┫    ?
満朝  氏定       氏定    定重    憲孝 房方 憲定 房方             氏朝 氏朝 氏憲   憲孝
 ┃  ┣━━┳━━┳━━┓     ?           ┃  ┣━━┳━━┳━━┳━━┓  ?  ┏━━╋━━┓
満定  持定 持朝 尊運 定頼    定頼       憲基 朝方 憲実 頼方 重方 清方 持房 憲秋 教朝 持房
 ┃     ┣━━┳━━┳━━┓  ┃           ?  ┣━━┓     ┏━━┫  ┃  ┃  ┝━━┓
持定     朝昌 定正 顕房 高救 朝藤           憲実 房朝 朝定    房定 房実 教房 憲定 朝定 政憲    
 ┃  ┏━━┫  ?  ┃  ┃        ┏━━┳━━┫  ?     ┏━━┳━━┫
成定  朝寧 朝良 朝良 政真 義同       憲忠 房顕 周清 房定    定実 定憲 定明
    ┣━━┓  ┝━━┓              ?  ┃  ┣━━┳━━┓(長尾氏)┣━━┓ 
    朝興 朝成 朝興 藤王丸            顕定 憲房 顕定 房能 定昌 能景 定兼 頼房
     ┃                 ?     ? ?  ┏━━┫     ?
          朝定                憲房    顕実 定実=女子 為景    政繁
                            ┝━━┓     ┃   ┏━━┫     ┃
                            憲寛 憲政    女子=晴景 景虎    長員
                      ┏━━┳━━┳━━┥        ┃
                      憲重 憲藤 憲景 上杉輝虎(謙信) 猿千代
                      ┣━━┓
                      憲国 憲武
                      ┣━━┳━━┓
                      憲益 憲儀 憲方
                            ┃
                            憲秀

(出羽米沢藩上杉家)            

※米沢藩の上杉家は山内上杉系の長尾上杉氏であるが、婚姻と養子縁組により八条上杉、扇谷上杉の血も引いている。

    謙信                     泰範(妻は上杉朝顕娘)
  ┌──┤                      ┃
 景虎 景勝=桂岩院(四辻公遠娘)        範政(妻は上杉氏定娘)        
     ┃(景勝側室、定勝生母)           ┃
    定勝                     範忠(上杉氏定外孫)
     ┣━━━┓                  ┃
    綱勝  富子                 義忠
     ?   ┃                   ┃
    綱憲  綱憲                 氏親
     ┣━━━┳━━━┳━━━┓          ┃
    吉憲  義周  勝周  豊子(黒田長貞妻)  義元
     ┣━━━┳━━━┓   ┃          ┃
    宗憲  宗房  重定  女子(秋月種美妻)  氏真
     ?           ┃          ┣━━━┓
    宗房          治憲         範以  女子(吉良義定妻)
     ?                          ┃
    重定                         吉良義弥(妻は今川範以娘)
     ┝━━━━━━━┳━━━┓              ┃
     治憲      勝煕  治広            吉良義冬
     ┝━━━┓   ┃                  ┃
     治広  顕孝  斉定                吉良義央(妻は上杉定勝娘の富子)
     ┣━━━┓                      ┃
     斉定  顕孝                    上杉綱憲(上杉定勝外孫)
     ┃ (綱勝の養子)
     斉憲
     ┃
     茂憲
     ┃
     憲章
     ┃
     隆憲
     ┃
     邦憲

上杉家家訓十六ヶ条
上杉謙信が残したといわれる家訓[1]。

一、心に物なき時は心広く体泰なり
一、心に我儘なき時は愛敬失わず
一、心に欲なき時は義理を行う
一、心に私なき時は疑うことなし
一、心に驕りなき時は人を救う
一、心に誤りなき時は人を畏れず
一、心に邪見なき時は人を育てる
一、心に貪りなき時は人に諂うことなし
一、心に怒りなき時は言葉和らかなり
一、心に堪忍ある時は事を調う
一、心に曇りなき時は心静かなり
一、心に勇ある時は悔やむことなし
一、心賎しからざる時は願好まず
一、心に孝行ある時は忠節厚し
一、心に自慢なき時は人の善を知り
一、心に迷いなき時は人を咎めず

2009年02月19日

モビルスーツは平均的に人間の約10倍の大きさ

モビルスーツは平均的に人間の約10倍の大きさ(身長180cmと仮定して、18m。ただし作品によって大きさはまちまちである)をした人間型有人機動兵器で、胴体や頭部に設けられた操縦席に直接人間が乗り込み操縦をする。地球上や宇宙空間で主に活動するが、海洋や砂漠等の局地ではそれ専用に製作もしくは改修されたモビルスーツであれば行動できる。また、以上に挙げたどの環境でも行動可能なモビルスーツも存在する。
マクロ ロード ナビビラ 地中海 フロー ワダン リグベーダ 探険隊 クロス テレキ シルエット メイン キュリーズ ファイト フロー ターキ 草競馬 ブロイ オフテン タオル ダイアリー ビルト ビヤマグ ビードロ ローシップ ウーマンパワー グルタチ ダクター ルテオリン マイムエ はだし ポルテ 百日紅 サイダー ミニカ プリンセス がんばる パーセント あばしり ショート スパル ましけ アジェンダ 氷河便利 シーベル フェイク アフタ フルーテ ドリンク トレンチ

その行動はほとんどの場合、敵対勢力との戦闘を目的としており、ビームライフルを始め複数の武器を携帯するのが常である。また、モビルスーツそれ自体が移動するための燃料類(推進剤等)の搭載量が限られているため、稼動のためには補給や修理、整備を行える施設及びモビルスーツ単体の輸送も可能な宇宙戦艦等の、バックアップ体制が欠かせない。

また、モビルスーツはその外形を人型を拡大したものにすることで、人間に似た多用途性や汎用性を獲得したが、逆に人型にとらわれない外形で、モビルスーツには無い高加速能力や火力の増加などを取得している、モビルアーマーという種類も存在する。

なお、モビルスーツとの区別のため、人間が直接着用する従来のパイロットスーツや宇宙服は「ノーマルスーツ」と呼称されている。

ガンダムシリーズは以下に述べるように複数の世界観で展開され、モビルスーツの設定は各々の世界観で多少異なっている。

各世界観におけるモビルスーツ
以下の設定には、アニメ作品中で表現されたものの他、先に述べたような雑誌上の企画で創作されたものや漫画・小説などの派生作品で創作されたものも含まれている。そうして作られた設定は後にサンライズの監修を受けて設定集などの形にまとめられたものが多いが、中には他の作品と矛盾を起こすものや後に顧みられなくなったもの、サンライズによって後に取り消されたものもある。それらの中にもファンの間でそれまで同様に扱われる設定も含まれることに注意が必要である。

宇宙世紀におけるモビルスーツ
『機動戦士ガンダム』をはじめとする作品群の舞台となる「宇宙世紀」におけるモビルスーツ (Mobile Suit) は、"Mobile Space Utility Instrument Tactical" の略とされ、「戦術汎用宇宙機器」の意味である。

ただ、これは後にサンライズでSF考証を手がけることになる森田繁が、1980年代初めの同人誌「ガンサイト」やムック「ガンダムセンチュリー」で作った略語で、また裏設定の創作を手がけるプロダクション「伸童舎」のメンバーらによる、1990年代以降の関連書籍にも記載されている。それ以前には、単に“機動服”という意味を意図した乱暴な和製英語として存在していた。また、劇場版第2作『機動戦士ガンダムII 哀戦士編』のパンフレットに掲載された大河原邦男のイラストには、「宇宙白兵戦用重機動宇宙服」という言葉が意訳語として掲載されていた。

黎明期
地球連邦政府に対する全面戦争を想定していたジオン公国が、質、量ともに強大な力を持つ地球連邦軍に対し優位に立つための新しい兵器として、宇宙世紀0071年にサイド3の民間企業ジオニック社とツイマッド社とMIP社に宇宙用機動兵器の開発を委託。両社の提出した試作機はどちらも「腕」を備え「能動的質量移動による自動姿勢制御(AMBAC)」が可能であったが、加えて「脚」を備え完全な人型であったジオニック社の機体の方が選ばれ、宇宙世紀0073年、MS-01という型式番号とモビルスーツという名称を与えられた。宇宙世紀0075年、実戦型モビルスーツの採用トライアルにおいて、ジオニック社はYMS-05、ツイマッド社はEMS-04(ヅダ)を提出。EMS-04は宇宙空間での高い機動力を発揮しながらも試験中に爆発事故をおこし、結局安定した性能を示したYMS-05が採用され、「MS-05ザク」(後にザクI)と命名された。また、地球侵攻作戦のための局地戦用MS開発も宇宙世紀0076年に開発が始められた。

そして、ザクIとその改良型であるザクIIの大量生産が行われ、宇宙世紀0079年の一年戦争の緒戦に投入された。戦艦対戦艦の超長距離砲撃戦や突撃挺・戦闘機による一撃離脱戦法という、従来の艦隊決戦のみを想定していた地球連邦軍の意表をつく形で、目視での遠近感が掴みにくい宇宙空間で、しかも高い機動性を発揮するモビルスーツが接近し、敵艦に直接攻撃を加え撃破するという戦闘を行い、有効な迎撃手段を持たない地球連邦軍に対して圧倒的優位に立つこととなった。

この他、モビルスーツの開発以前にジオン公国で発見されていたミノフスキー粒子(レーダーやセンサー類を使用不能にするなど様々な働きをする)を戦闘空域で散布する事により、高性能レーダーに頼っていた地球連邦軍戦艦の索敵手段を封じる事に成功したのも大きな勝因であった。また、後に地球上においても水陸両用MSが連邦軍の艦艇に多大な被害を与えている。

そして、ジオン軍に決定的な差を付けられ、大打撃を受けた地球連邦軍も極秘にモビルスーツを開発。当初完成したのはガンダム、ガンキャノン、ガンタンクという3種類のモビルスーツであった。連邦軍は、これらの中で特に能力が突出して高かったガンダムの簡易量産型であるジムを大量に生産し、実戦投入した。これにより地球連邦軍は一年戦争に勝利する事ができた。

それ以降、モビルスーツという新たな兵器体系は戦車や航空機等といった既存の兵器のほとんどに取って代わる存在となり、また、多種多様なモビルスーツが製作されていく事となる。

なお『ガンダム』世界はエネルギーを木星産のヘリウム3による核融合発電に依存している。モビルスーツの動力源にはミノフスキー物理学により大幅な小型化を実現した「ミノフスキー・イヨネスコ型熱核融合炉」が使用されており、冷却問題を除けば稼働時間限界はないと言ってよい(ただし、具体的に核融合をどう用いて発電を行うかについて、作品中で語られたことは一度もない)。

また、高性能だが汎用性・生産性に乏しく後にモビルアーマーへと怪物的進化を遂げたジオン側モビルスーツと、汎用性と生産性を重視して数で圧倒した連邦側モビルスーツとが、それぞれ第二次世界大戦におけるドイツとアメリカの戦車開発・運用状況を反映していると言われている。

激動期
宇宙世紀0080年代後半は、MS開発における激動期である。ムーバブルフレーム構造を採用した第2世代から、変形機構を備えた第3世代、さらにニュータイプ (NT) 対応機能を備えた第4世代といった、MS数世代分の進化がこの時期に集中している。地球連邦軍内部におけるエゥーゴとティターンズの主導権争い、アクシズの帰還など、地球圏は一年戦争時に匹敵する混沌とした状況下にあった。また、当時は一年戦争以降積極的に進められていた公国系と連邦系の技術融合の成果が結実した時期でもあり、それらの相乗効果と相まってMSの単機あたりの性能は爆発的に向上していった。

機能向上に伴う付加機能の方が脚光を浴び、その性能を更に向上させるべく、本来のMSにとって必要とされない装備が追加されていくようになる。こうしてMSは徐々に巨大化を余儀なくされる。MSの平均全長は一年戦争期の機体の17m前後を超え、一割り増し以上の20m強となる。

巨大化に伴い、さらに多様な機能が要求される。変形機能は勿論のこと、戦艦クラスに匹敵、或いは優るような火力、惑星間に及ぶ航続距離、大気圏内航行能力、そしてサイコミュの搭載など、MSに対する要求はまさしく万能兵器を志向するものであった。万能的な機能を搭載するため、巨大化は増進される。実験機の中には30mは優に超え、40mに達する機体まで出現し始めた。この時点でMSは進化の袋小路に入り込み、いわゆる恐竜的進化を遂げつつあった。

ルスーツの世代別分類
モビルスーツが登場して以降、その時代背景や技術水準によって様々なタイプのモビルスーツが開発されている。モビルスーツは次の様に大別される。

第1世代モビルスーツ
主に『機動戦士ガンダム』とその外伝群、および『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』に登場する世代。

ジオン公国軍が開発したザクIを始めとし、モノコック構造あるいはセミ・モノコック構造を基本としている。一年戦争終結までに開発されたモビルスーツのほぼ全てと、デラーズ紛争期のモビルスーツがこれに含まれる。以後のモビルスーツの基礎を築いた。

モビルスーツという兵器が登場したばかりのため、様々なタイプのものが製作され運用された。運用されるものの中には後方支援タイプのキャノン搭載タイプや、水中で行動可能なものなどもみられた。しかし、世代が進みモビルスーツの性能が上がるにしたがい、こういった専用のタイプというものは製作されなくなる傾向があり、多岐にわたったMSの進化の道は次第に絞られて洗練されていった。

第2世代モビルスーツ
主に『機動戦士Ζガンダム』『機動戦士ガンダムΖΖ』『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』に登場する世代。

第2世代モビルスーツの条件として全天周囲モニター・リニアシート・イジェクションポッドの採用、ムーバブルフレームの導入、装甲材としてガンダリウムγを使用していることの3つを満たしていることが挙げられる。また、ジェネレーターの小型軽量化と高出力化によりビーム兵器の携行が一般的となった。装甲もビームの直撃を避けるため運動性重視のものとなり、それを対ビームコーティング仕様のシールドで補っている。一年戦争終結後に開発され、グリプス戦役から第二次ネオ・ジオン抗争に掛けてのほとんどの量産機がこれにあたる。

第3世代モビルスーツ
第2世代モビルスーツに可変機構を加えた可変モビルスーツがこれにあたる。グリプス戦役から第一次ネオ・ジオン抗争に掛けて多くの試作機が投入され、機動性や行動範囲を高めたり状況によって可変して戦闘することが出来た。しかしその反面、生産コストの高騰や機体構造が複雑になったことによる整備性の低下などにより主力機とはなりえなかった。

第4世代モビルスーツ
第一次ネオ・ジオン抗争時に台頭した、大火力を備えるニュータイプパイロット対応モビルスーツの総称。基本的な条件としてはモビルアーマークラスの高出力ジェネレータの搭載、並びにジェネレータ直結式の高出力メガ粒子砲を固定武装として有すること、さらに、サイコミュの安全性が高く、高度なニュータイプ能力を持たないパイロットにも操縦可能な点が挙げられる(インコムやバイオセンサーといった簡易サイコミュもこの範疇に含まれる。)。また、多機能化を追求した結果、総じて大型化する傾向にあり、頭頂高20mを超える機体が多い。変形機構の有無は条件には含まれず、スラスター・デバイスの推力自体は然程向上していない。しかし、ジェネレータの出力そのものが大きいため、モビルスーツとしての機動力は旧世代機を上回る例も少なくない。また、MSZ-010 ΖΖガンダムのような第3・第4世代双方の機能を有する機体も極一部には存在するが、この様な超々高級機は例外とされている。

第4世代モビルスーツは、その攻撃能力面において極めて高い性能(雑誌『ガンダム・ファクトファイル』を始め、ガンダム関連の書籍では「恐竜的進化を遂げた」と形容される事が多い)を発揮したものの、兵器としては末端肥大化した感も否めず、また、コストや運用性の問題から大量生産には向かず、一部のエース・パイロット向けに少数が配備されるに留まっている。また、モビルスーツの技術的限界が見え始めた時期でもあり、第二次ネオ・ジオン抗争以降は再びシンプルな機体コンセプトへと回帰していく事となる。

第5世代モビルスーツ
ミノフスキークラフトを搭載したモビルスーツを第5世代モビルスーツと呼ぶ。すぐに第2期モビルスーツの時代に移行してしまったため、ここに分類されるものはペーネロペー、Ξガンダム、ゾーリン・ソールのみである。なお、後述の第2期モビルスーツを第5世代モビルスーツに分類する資料もある。

第2期モビルスーツ
主に『機動戦士ガンダムF91』『機動戦士Vガンダム』に登場する世代。

宇宙世紀0110年代、これまで大型・高機能・複雑化、それに伴うコスト高という進化を続けていたモビルスーツを、原点に立ち返って見直す風潮が生まれる。そしてこれまでモビルスーツ開発の主導権を握っていたアナハイム・エレクトロニクス社に対抗して、サナリィがF90という小型モビルスーツを製作し、アナハイムが製作したモビルスーツ(MSA-0120。機体名の設定なし)とのコンペティションにて、F90が次期主力モビルスーツに決定される。これ以前のモビルスーツは第1期モビルスーツと分類され、以降は第2期モビルスーツと分類される。全高は第4世代モビルスーツでは最大20mを超えていたのに対し、15m程度にまで小型化される。高出力化が進み、ビームシールドの装備と単独での長時間飛行が標準的となる。また、このサイズでのIフィールド防御や大容量の携行武器も実装されている。

有人機動兵器のその後
その後宇宙世紀0120年代から少なくとも0150年代まで、第2期モビルスーツが主力となる。

そのさらに先の時代である宇宙世紀0200年代を書いた小説『ガイア・ギア』には、モビルスーツに替わってマン・マシーン (MM) と呼ばれる機動兵器が登場し、再び20?24m程度へと戻っている。『Gセイバー』では再びモビルスーツが現れるが、マン・マシーンと同じく全高は20m程度である。

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