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ロックシーンの巨大産業化(1980年-1992年)

産業化したヘヴィメタルが派手な方向を目指す一方で、デュラン・デュランやユーリズミックス、ワム!といったバンド群もメタルシーン同様にMTV効果を最大限に活かした演出で市場を賑わし、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの旋風を起こす。

上記のとおり、1980年代の音楽シーンを語る上でさけて通れないのがMTVである。1981年、バグルスの 「ラジオ・スターの悲劇」で放送開始した音楽専門のケーブル放送チャンネルは、ロックシーンを産業化していき、巨大な影響力をもつようになっていく。MTVでインパクトのあるビデオクリップを流すことが、「売れる」要素になっていき、ビリー・アイドル、マイケル・ジャクソン、マドンナらがスーパースターとなっていった。

この頃の音楽業界は、膨大な枚数のCDセールスが相次ぐ空前の好景気であり、ライヴ規模も含めて市場は巨大化の一途を辿る。以前から活動してきたミュージシャン達もこの時流に乗り、クイーンやフィル・コリンズ主導のジェネシス、ブルース・スプリングスティーンらがスタジアム級の巨大公演を世界中で実現させ、U2の「ZOO TV」ツアーにおいてそれは頂点を迎える。
その流れは、チャリティー・ライヴ・イベントバンド・エイド開催など巨大慈善コンサート・ブームにも結実したが、ロックの商業的な肥大化は進む一方であった。

オルタナティブ・ロックの勃興(1991年-1994年)
MTVが派手な産業ロックを垂れ流す一方、有線放送チャートやインディーズチャンネルでは、1970年代のパンクから1980年代のニューウェーブの精神性に連なるオルタナティブ・ロックと呼ばれるサウンドが姿を現していた。この支持者たちは、メインストリームを闊歩するヘヴィ・メタルや市場の産業化を嫌悪し、独自のコミュニティを形成した。

その中から、アンダーグラウンドでの抜群の活動実績をもつR.E.M.がトップ・チャートでの最初の成功を獲得すると、次第にオルタナティヴ・シーンが活性化。その熱気を受け継ぐように1991年、ニルヴァーナがデビュー作『ネヴァーマインド - NEVERMIND - 』を全世界で大ヒットさせ、彼らの出身地シアトルを震源にグランジブームが全米を席巻し、既存のロック・シーンに大きな衝撃を与えた。そしてこのグランジの波に押し流された多くのメタルバンドは表舞台から消えていくこととなった。

また、ほぼ同時期に、ファンクやヒップホップのグルーヴ感を取り入れたミクスチャー・ロックバンドの代表格として注目されていたロサンゼルス出身のレッド・ホット・チリ・ペッパーズが、5thアルバム『ブラッド・シュガー・セックス・マジック - BLOOD SUGAR SEX MAGIK - 』(1991年)をリリースし大ヒットを記録。ヘヴィメタルに代わってこれらのオルタナティブ・ロックがロックのメインストリームとなっていく。

また、これらアメリカの動きとは別に、イギリスではアシッド、クラブ、ダンスミュージックなどが大きく盛況を見せ、ストーン・ローゼズやプライマル・スクリームといったそれらを音楽性に取り入れるロックバンドも多数登場。これらマッドチェスターは後のブリットポップへの下敷きとなるムーブメントを形成する。

ポスト・グランジの時代(1994年-2000年)
1994年のニルヴァーナのリーダーであったカート・コバーンの自殺により、グランジブームはオルタナティブ・ロック・ムーブメントに呑み込まれる形で終わりを迎える。しかしさらに多様性を増したオルタナティブ・シーンは、ドラマティックな楽曲展開で絶大な支持を得たスマッシング・パンプキンズらを中心に、フー・ファイターズやウィーザーのようなグランジを経過した上でのキャッチーなメロディを提示したバンドによって引き継がれていく。

一方のミクスチャー・ロックは、メタリカなどが切り開いたヘヴィサウンドと相まってコーンやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンによりラップ・メタルに発展し、グランジによって刷新されたメタル・シーンではマリリン・マンソンやナイン・インチ・ネイルズなどの新世代が80年代の産業ロック・メタルとは違う新たなヘヴィ系ロックバンドとして人気を博した。
依然『オルタナティブ・ロック=型にはまらない非主流ロック』は一定の音楽性を示す用語ではないもの、1980年代のHR/HMとは違うロックのためのくくりとして、メジャーな1ジャンルへと転化していく。

1990年中頃になると、旧来のテクノミュージックとオルタナティブ・ロックとの融合を図ったプロディジーやケミカル・ブラザーズといったビッグ・ビートバンドや、テクノロジー技術の発達による電子音楽・サンプリング音楽の発展から、エレクトロニカやヒップホップをロックに取り入れたマッシヴ・アタックやポーティスヘッドなどのトリップホップアーティストも続々とシーンに登場し、主に欧州を中心に人気を得る。

また、アメリカでグリーン・デイやオフスプリングなどのポップ・パンクバンドが人気を博す一方、イギリスでは原点回帰的サウンドともいえる、オアシスやブラーに代表されるブリットポップムーブメントが発生した。そしてその後を追う形でレディオヘッドやトラヴィス、コールドプレイといった叙情的なバンドが登場し、2000年代も活躍を続けている。
ルーズ リング このゆび セラピー マンタ ドッグフ リルック プッシュ ファンド 水晶パート キバナ ピラフ 時の雫 ドリブル トポス ミキシング ちょぼく ラリアン ブログ タティック リューマチ アーミン ラクターゼ ヨットレ ロケア ファイユ ラケット きつおん タービン マドン アルカイ ナビタラワ ブレザー ブルジ オルグゴン トラン ナビロト スキルア クロニ スタン オーバ リスク ドック サイト スティッ きくま パシフ チルバ カツ上 カウボーイ

ロックンロール・リヴァイバル・ムーブメント(2001年以降)
世紀末にかけてのコーン、リンプ・ビズキット、リンキン・パークなどのアメリカでのブレイクによりニュー・メタルがロックの本流としての地位を確立するにつれて、そのようなヘヴィすぎるロックとは違った、旧来のストレートなロックンロールサウンドが見直されるようになる。そのような状況下、2001年にアルバム『イズ・ディス・イット』でデビューしたストロークスがヴェルヴェット・アンダーグラウンドなどの面影を残すガレージロック的なアプローチから注目を浴びることとなり、『ホワイト・ブラッド・セルズ』(2001年)でメジャーデビューしブルースロック的音楽性でジミー・ペイジなどから絶賛を受けたホワイト・ストライプスや、元クラッシュのミック・ジョーンズがプロデュースしたリバティーンズなどのバンドとともに『ロックンロール・リバイバル(又はガレージロック・リバイバル)』と名付けられ、現在(2006年)なお人気を博す。

また、その中からフランツ・フェルディナンドやアークティック・モンキーズといった、1980年代のニュー・ウェイヴやポストパンクを思わせる鋭角的でダンサブルなビートを取り入れた、ニュー・ウェイヴ・リバイバルやポストパンク・リバイバルと呼ばれるバンドたちも続々と台頭し、新たな勢力としてチャートを賑わせている。1980年代から1990年代へ移り変わる際のシーンの動向とは違い、2000年代においては1990年代のバンドも依然セールスを堅持しているのも特徴である。

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2009年01月20日 16:09に投稿されたエントリーのページです。

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